はじめまして。富山スカイ株式会社、代表取締役 森 千洋(もり かずひろ)と申します。みなさまの健康を願って、私、森 千洋の会社立上げ秘話を読んでください。

独立を夢見たサラリーマン時代

商いを営む家に昭和30年1月生れる。(富山県射水市)父は昭和40年より明治乳業の営業所を起業。母は食品店を営む。そんな商家の長男として2人の姉と弟に、そして祖母に囲まれて育ちました。7人家族です。

私自身は、学業終了後、家業を継ぐため流通業の勉強の場として県内の大型マーケットに勤務。地域一番の量販店を築くことを夢見て日々頑張っていました。その当時のマーケットの売場面積は50坪前後。自分の店舗としての売場面積は100坪を目指し、3000万円の予算を見ていました。

ところが、時代は数年で変わり売場面積は150~450坪になり、現在では食品の小型店で売場面積450坪、大型店では売場面積が900坪と拡大しています。予算も数億円~数十億円の規模になっています。個人資本では、どうしようもない時代となったのです。

昭和50年頃のマーケットは、作業のマニュアル化もなく担当者の才覚によるものが大半でした。当時は自由なスタイルで仕事ができたことがとても勉強になりました。店舗の商品棚のレイアウトや販売促進のチラシ作りなど、年間のイベント計画や店舗改装に至るまで長期3年計画、そして年間計画、月間計画、日々の売上計画、その他部門別の年間、月間、日々の売上計画を詳細に作ったものです。

それらの立案計画を達成するために店舗全体、部門別のイベントや販促計画、年間、月間、管理費の立案、人事採用に至るまで計画しました。そんな中、社長の鶴の一声で、計画案を全て作り変えるときは、とても大変で家に持ち込み夜を明かしたものです。

健康に興味を持ち始めた24才の夏

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食品の販売を通して、加工食品があまりにも多く、漬物類、ハム、魚肉練り製品、パン、ソフトマーガリン、アイスクリーム、インスタント・レトルト食品などに、合成甘味料、着色料、発色剤、酸化防止剤、漂白剤、防カビ剤、小麦改良剤等、さまざまな食品添加物が入っているのを知りました。

勤務していた店舗では、体に良いものを緑。中間的なものを黄。体に良くないものに赤印をつけ、販売動向をチェックしました。しかし、お客様の感心は低く、販売動向にあまり変化は見られませんでした。なぜこんなに健康に感心がないのだろう?と素朴な疑問が生れました。

その時ふと・・・食品を通して健康になるキッカケ作りができないか?と24才の夏に思いました。当時は共働きが多く、お惣菜や加工食品、インスタント食品の需要が伸び、栄養のバランスも偏り、生活習慣病が増加傾向にありました。

脱サラし、健康に目覚めた28才に起業

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27才7月に会社を退職し、そこから約半年余り起業準備をし、元大学病院の薬剤師のM先生に指導を受け、体と栄養・生命力の勉強をしました。先生は、毎年夏に原因不明の高熱がでます。それがキッカケで西洋医学から東洋医学、栄養と生命力の世界に身を置かれ、化学薬品を取り扱わないめずらしい薬局を営まれていました。酸素力、酵素力、イオンカルシウム力を熱心に説かれたものです。

28才3月から栄養補助食品と自然化粧品の営業を開始しました。営業は、体験が浅く不安定な日々が続きました。いろいろな商品を取り扱いました。メーカーの商品説明はとても素晴らしいものでしたが、体感が伴わなく納得できないものが多数ありました。そんな時、ふと自分で良いものを作りたい思いがよぎりました。そんな思いが日増しに強くなり、それが商品作りをするキッカケとなりました。

業績の方も売り上げの積み増しができない状態なので資本金も3年で底を付き、はじめて政府系の融資で600万円借り入れました。ところが、その600万円も商品仕入れと在庫増し、ライトバンの購入で4ヶ月目で底をつきました。取引先のお客様から「森さん、そろそろ新車を買ったら~」とライトバン購入後1週間目で言われました。底をついてまで買ったライトバンなのに、「ライトバンでは新車に見えないのかなぁ・・・」とそんな思い出もあります。しかし、ライトバンは、とてもよく働いてくれました。

どん底を救った1本のカセットテープ

退職後しばらくしてから、元勤務先のT社長が自宅に来られ一言。「何もしてやれないが・・・このテープがはなむけだ!」と、京都の大徳寺住職、尾関宗園さんの「今こそ出発点」の60分カセットテープを渡されました。実は、このテープがどん底を突き進むエネルギーの原動力となったのです。

当時、このテープは1本3万円もした高価なものと聞きました。車のカッセトに入れ、たえずこのテープを聞きながら車を走らせていました。テープを暗記するほど、何百回も聞きその都度、「がんばろう!」と高いエネルギーを頂きました。社長には今も感謝しています。

尾崎宗園さんの「今こそ出発点」テープ内容  人生とは・・・毎日が訓練である。 私自身の訓練の場である。 失敗もできる訓練の場である。 生きているを喜ぶ訓練の場である。 今この幸せを喜ぶこともなく、いつどこで幸せになれるか。 この喜びをもとに全力で進めよう。 わたくし人身の将来は、今この瞬間、ここにある。 今ここで頑張らずに、いつ頑張る。 生け花とは・・・根っこを絶ちきり生け飾ります。 吸い上げた過去を経ちきり。 根っこを切ることで、将来も経ちきります。 過去と将来を経ちきり、今しかない姿この瞬間を 美しくきれいに生け飾ります。 それが生け花です。 生きがいのある人生は、過去にとらわれない、将来にとらわれない。 今この瞬間を生きることです。 ※私達は、日々時間に追われます。生け花の美しい姿を思い出し、今この瞬間をがんばろう。

起業から6年目に富山スカイ誕生!商品第1号完成!

緑黄カルシウム400g平成元年7月、34才の時に富山スカイは、うぶ声をあげました。商品第1号は、L型発酵乳酸カルシウム(水溶性)で商品名は「緑黄カルシウム」です。その発売のキッカケとなったのは、不眠症を持ち合わせていたのが幸いしました。L型発酵乳酸カルシウムを飲んだら一晩で、不眠症が良くなり熟睡できたのです。

これは、本物のカルシウムだと確信しました。まさに求めていたカルシウムだったのです。先生は、これからイオンカルシウムの時代だと言っておられました。数多く出回る食品添加物(リン酸塩)の中和剤として水溶性カルシウムはとても大切な栄養素です。たくさんの方に、この水溶性カルシウムを広めたい思いが商品開発につながりました。

おかげさまで創業31年!

理念おかげさまで31年。富山スカイ オリジナル商品はL型発酵乳酸カルシウムから始まり、現在ではおかげさまで35品種となりました。社名の「富山スカイ」は、薬都富山より健康を発信するという思いを込めて名づけました。富山スカイの理念は調和です。

ロゴマークの3TSは、お客様、販売者、製造者この3者の調和とバランスを、3という数字に表しました。皆様との調和、協力と応援があってこそ、素晴らしい商品開発が行えるのです。富山スカイは、健康をテーマに人にやさしい企画と開発、調和を大切に歩んでいきます。

富山スカイオリジナル商品201907